言葉の壁を越えたオーストリアンロックシンガー FALCO(ファルコ) – FALCO 3(ロック・ミー・アマデウス)

FALCO(ファルコ)とは





1985年、この人のシングルROCK ME AMADEUS(ロック・ミー・アマデウス))がチャートを駆け上がり、そのPVを見た時には衝撃を受けましたね。
貴族に囲まれて敬意を受けてる姿に、暴走族の一段に囲まれこぶしを突き上げてる姿。
そして、当時は珍しかったラップ調の歌、それも英語とドイツ語が混じってるのと彼の独自の声色によって、まさに異色の楽曲でした。

 

奇しくも(というか、それにインスパイアされてということだったようですが)アマデウスという映画が既に世界的に大ヒットしていて、未見の僕にとっては、これはその映画のPVではないかと一瞬勘違いさせられかけたものでした。
こんな、外見は洗練されたようでもあり、でも、実はかなりのコメディ要素のあるファルコの魅力に取りつかれたのでした。

 

ファルコは芸名で、本名はヨハン・ヘルツェル、オーストリア共和国のウィーン生まれのシンガーソングライターです。
ドイツ語圏で言えば、NENA(ネーナ)が世界的に有名になりましたが、オーストリアでは僕はファルコ以外のアーティストを知りませんね。
ウィーンは、ポップ&ロックの世界ではマイナーなとこですが、逆にクラシックの世界ではまさに音楽の中心地の一つと言えますね。

 

彼は二卵性の三つ子の一人として母の胎内に宿されますが、残念ながらもう一つの卵の方の双子は流産となってしまいます。
生き残ったファルコは本当に幸運だったわけですが、やはり亡くなった二人に関しての複雑な思いは残ったようですね。

 

そんなファルコは、幼少期から普通じゃない音楽的な才能が見られていたようです。
それで、4歳の時には誕生日のプレゼントでピアノが与えられ、翌年にはレコードプレイヤーをもらっています。
5歳の彼が何を聞いてたかというと、エルヴィス・プレスリー、クリフ・リチャード、ビートルズなどでした。
僕が洋楽に目覚めたのが中3だったのと比較しても、とても早熟だったと思われます。
そんな影響もあって、彼は早くからポップスターになることを望むようになりました。

 

その後、音楽学校に行くも続かず、仕事を始めるも続かず、17歳で8か月間、オーストリアの軍隊に徴集されています。
そして1970年代の後期には、ウィーンの娯楽産業の中に居場所を見出します。
その中で、いろんなことをやりますが、そのうちの一つがバンド活動です。
ベースギターを演奏し、いろんなバンドでプレイするようになりました。
そのころは John HudsonJohn DiFalco といった仮名で活動していましたが、そのうちFalcoというステージネームに固まっていきます。
また、ウィーンのアングラのクラブシーンで、ショートヘアにレイバンのサングラスにスーツ、といった小ぎれいな外見はちょっと異彩を放っていたようですね。
そんな彼の独特の外見と、歌唱スタイルが目にとまり、ついにデビューへの道が開かれていくことになりました。

 

さて、ソロアーティストとしてのキャリアが始まると、彼は自身で作曲を続け、プロデューサーにRobert Ponger(ロバート・ポンガー)を雇ってます。
そして、ついにデビューの運びとなり、1stシングルの“Ganz Wien”は自国での小ヒットにとどまります。

 

次にファルコはシングルとして“Helden Von Heute”という曲をマネージャーに持ってきます。
しかし、この曲へのマネージャーの反応はイマイチで、彼はそれよりもB面候補だった“Der Kommissar”(デア・コミッサー)をシングルとして推します。
ファルコはためらいます。
なぜなら、この曲はドラッグの消費に関して歌った歌で、ドイツ語の歌であること、そして、ラップと歌メロの融合といった曲構成になっていたからです。
当時は、アメリカではすでにラップはブレイクし始めてましたが、ヨーロッパではまだ珍しいものだったのです。

 

しかし、結局マネージャーの主張が通ると、なんとこの曲、デア・コミッサーは大ヒット。
母国オーストリアをはじめ、ドイツ、スペイン、イタリア、日本でNo.1を獲得するという快挙を成し遂げました。
残念ながらアメリカでは第72位、とブレイクには至りませんでしたが、その1年後にAfter the Fire(アフター・ザ・ファイア)というイギリスのロックバンドがこの曲を英語ヴァージョンでカヴァー(邦題は秘密警察)。
すると、アメリカで第5位を記録するヒットとなっています。
やっぱり言葉の壁はなかなかにデカい、ということでしょうか。

 

また、アメリカの女性シンガーの Laura Branigan(ローラ・ブラニガン)もこの曲をカヴァー。
Deep in the Darkとタイトルを変えた英語ヴァージョンで、彼女の2ndアルバムBranigan 2に収録されています。
このように次々とカヴァーされることは、ファルコの作曲能力の高さの証明と言えるかもしれません。

 

そして、この曲を収録したファルコの1982年のデビューアルバム、Einzelhaft(デア・コミッサー)は自国オーストリアとオランダでNo.1となる大ヒットを記録することになりました。
ちなみにアメリカでは第64位を記録しています。

 

この1stアルバムの成功を受けて、ファルコとロバート・ポンガーは再びスタジオ入りし、2ndアルバムの制作に取り掛かります。
しかし、前作の出来すぎの成功がプレッシャーとなり、製作は難航。
レコーディングの遅延に悩まされることになりました。
何とか1984年にリリースされた2ndアルバムのJunge Roemer(ユンゲ・ローマ―)は自国オーストリアではNo.1を獲得したものの、前作の世界的なヒットとは程遠い結果に終わってしまったのでした。

 

この結果を受け、ファルコは彼の魅力を広げるために、英語の歌詞を加えることを試していくことになりました。
また、ファルコはロバートとたもとを分かつことにします。
代わりにオランダのBolland & Bolland(ボーランド&ボーランド)というロブとフェルディ兄弟ユニットを新たにプロデューサーに迎え3rdアルバムの制作に取り掛かりました。
こうして、前作の失敗を糧にして新たな魅力を作り出したアルバムが完成することになります。

 

では今日は、1985年リリースのFALCO(ファルコ)の3rdアルバム、FALCO 3(ロック・ミー・アマデウス)をご紹介します。

FALCO 3(ロック・ミー・アマデウス)の楽曲紹介

オープニングを飾るのは、ROCK ME AMADEUS(ロック・ミー・アマデウス)。

 

イントロから独特のシンセやサンプリング、スクラッチなどを使い、オリジナルな雰囲気が出来上がってます。
ドラム音も激しく、ゆったりしたリズムながら軽快なエレクトロポップが骨格となっています。
そして、その上にファルコのラップが乗っていくんですね。
あのペチャクチャねっとりとまくし立てていくファルコのドイツ語が、英語のポップスに慣れてた僕には超絶に斬新に感じられたものです。

 

サビでは英語の合唱もバックで盛り上げてますが、やはり特筆すべきは彼の歌(しゃべり!?)のスタイルと言うことになるでしょう。
軽快なリズムに乗せたこのラップは、やはりファルコが歌うからこその絶妙なブレンドとなっているのではないかと思います。
こうした英語とドイツ語の融合も非常に新しく、ドイツ語圏の国だけでなく、英語圏も含めて世界的に受け入れられることになりました。

 

紳士のように見える外見から繰り出される、ファルコの世界は完全なオリジナルだったと今でも思います。

 

ところで、この曲は、彼の母国オーストリアが生んだクラシック界の大スター、Wolfgang Amadeus Mozart(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)を題材にした1984年の映画、「アマデウス」にインスパイアされて作られたと言われています。
当時、この曲のサリエリミックスというロングヴァージョンも存在し、僕はFMラジオからエアチェックしてカセットに収め、何度も聞いていました。
ちなみにサリエリというのは映画アマデウスに登場する作曲家の一人で、映画では彼らの目を通してモーツァルトの生涯が描かれる、という形になっていました。
スクラッチの多用など、かなりミックスが施され、より楽しめるこのヴァージョンの中では、モーツァルトの生涯を年表のように語るパートがあります。
1756年の誕生から1791年の死去まで歴史が並べられた後、「1985年、オーストリアのロックシンガー、ファルコが“ロック・ミー・アマデウス”をレコーディングする!」と付け加えられています。
このユーモア感覚には恐れ入りますね。
まさか地元の偉大な英雄の歴史年表に自分を放り込むなんて、とってもお茶目だと思います。

 

この英語とドイツ語の入り混じった斬新なラップポップ曲はファルコの目論見通り世界中で大ヒットしました。

 

この曲はアルバムの先行シングルとしてリリースされ、ビルボード誌シングルチャートで3週連続No.1、同誌Dance Club Songsチャートで第4位、同誌Hot R&B/Hip-Hop Songsチャートで第6位、とついに全米を制覇することに成功しています。
これは、NENA(ネーナ)の99 Luftballons (ロックバルーンは99)のビルボード誌シングルチャート第2位を塗り替えて、ドイツ語曲として初の全米No.1という記録となったのでした。(ちなみに、アメリカのCASH BOX誌のシングルチャートの方ではネーナはNo.1を獲得してます。)

 

また、母国オーストリアを始めとして、スイス、ドイツ、スペイン、フィンランド、イギリス、イタリア、日本、ソ連、スウェーデン、南アフリカ、ニュージーランド、といった多くの国々のチャートでNo.1を記録し、まさに世界中を席巻した大ヒットになったのでした。

 

2曲目は、AMERICA(アメリカよ)。

 

軽快なポップロックですが、これに乗せるファルコの怒涛のドイツ語ラップがたまりません。
内容は、資本主義を揶揄したもののようです。
でも、音楽的にはアメリカンなハーモニカが入ったりして、とっても楽しい雰囲気で歌い上げられています。
まあ、揶揄していた資本主義のアメリカでもこのアルバムが大ヒットしたというのもちょっぴり皮肉な感じもしますね。
結局は、ドイツ語オンリーではなく英語を混ぜることで世界的な大ヒットを記録したことを考えると、なんだかんだ言ってもこの人もアメリカとその資本主義は嫌いではなかったに違いないと僕は思います。

 

まあ、内容はどうあれ、この軽快で勢いのあるラップを聞けば、ファルコの魅力にはまるのも仕方ないと思えますね。

 

3曲目は、TANGO THE NIGHT(夜のタンゴ)。

 

情熱的なタンゴ風の楽曲に、低音の魅力でファルコが迫ります。
この曲でも、やはりドイツ語ラップのねっとりした感覚がハマってますね。
サビでは英語も混ざり、やはり独特の世界観があります。
とっても軽快で、スパニッシュな雰囲気も語感と関係なくとても聞きやすい楽曲ですね。

 

絞り出すような“Olé!”(オーレ!)がクセになります。

 

4曲目は、MUNICH GIRLS(Lookin’ for Love) (ミュンヘンの娼婦)。

 

何と、ここでアメリカのロックバンド、THE CARS(ザ・カーズ)のカヴァー曲が登場です。
それも1984年の名作HEARTBEAT CITY(ハートビート・シティ)収録の、非シングル曲という選曲も驚きです。
これには意表を突かれましたね。
ファルコとザ・カーズには全く関係性がうかがえないものですから。
やはりこんなとこにも、幼いころからアメリカのポップミュージックに親しんできた彼の嗜好が垣間見られます。

 

もちろん、カヴァーと言っても、歌詞の方はドイツ語と英語が入り混じったものに変更させられてます。
やはり、この言語的なカオスはファルコの真骨頂ですね。
楽曲は、原曲に沿ってとてもポップな仕上がりになって、当然ながら聞きやすいです。
しかし、彼の言葉遣い、舌使いで、新たな魅力を生み出しています。

 

5曲目は、JEANNY(ジェニー)。

 

静かなリズムの中でピアノが物悲しくイントロを飾ります。
これまでのラップとは異なり、ファルコが重々しく語りだします。

 

少しづつ盛り上がり、ドラマティックに楽曲は展開していきます。
ファルコのヴォーカルも、感情を増していき、魂の叫びのようなシャウトさえ聞かれます。
しっとり、しかしドラマティックな、美しい楽曲に仕上がっています。

 

楽曲はとても良いのですが、歌詞が批判にさらされたようです。
シングルとして各国でNo.1を取っていたころ、批評家たちはこの曲がレイプを美化している、といった主張を始めます。
また、ドイツのあるTV、ラジオのパーソナリティもネガティヴな批評を述べ、この曲を”rubbish”(くず、ごみ)とさえ呼んでいますね。
また、フェミニスト(女権拡張論者)のグループからもボイコットの声があがります。
結果として幾らかのTVラジオ局で放送禁止となったりもするなど、大きくセンセーショナルな話題を提供することになりました。

 

今、歌詞の訳を読み返しても、そのような直接的な内容は含まれていないようです。
が、曲やPVの醸し出す雰囲気が、一部の人たちの想像を膨らませる結果になったのかもしれません。
ファルコがどのような意味を含ませていたかはわかりませんが、いずれにしても、それだけ多くの人の目と耳に影響を与えた、強力なバラードだったことは間違いないでしょう。

 

この曲はアルバムからの3rdシングルとしてカットされ、アメリカではカットされていないのかチャートインはしていません。
しかし、本国オーストリア、スイス、ドイツ、ノルウェー、オランダ、スウェーデンといった国々でNo.1を獲得しています。

 

6曲目は、VIENNA CALLING(ウィーン・コーリング)。

 

ここで雰囲気はガラッと変わり、再びファルコの楽しいポップソングの登場です。

 

かすかに聞こえるワルツの音を電話のダイヤルの音が妨げ、静寂を突き破って始まるイントロはとってもいいですね。
この曲では軽快なポップに乗せて、ドイツ語のラップが紡がれていきます。
やはり、不慣れな言語のためか僕にとってはとっても新鮮で、言葉の魔術師かと思えますね。

 

途中の「チャッチャッチャー!」とか、もうたまりません。

 

この曲は2ndシングルとしてカットされ、ビルボード誌シングルチャートで第18位、本国オーストリアで第4位を記録しています。

 

7曲目は、Männer des Westens – Any Kind of Land(西の国の男たち)。

 

ちょっとファンキーな要素も感じられる楽曲です。
この曲でのファルコの声技もまた独特でたまりませんね。
楽曲のメロディも良いですし、中盤のペチャクチャ系のラップもとても面白いです。
バラエティ豊かな楽曲で、たくさん楽しませてくれます。

 

8曲目は、NOTHING SWEETER THAN ARABIA(芳しきアラビア)。

 

オーケストラのサウンドトラックのような演奏の中から飛び出してくるこの曲は、中東アラビアの雰囲気がかすかに漂う、グルーヴィーな楽曲です。
オーケストラヒットの連打が華々しく楽曲を盛り上げてます。
また、全編でグルーヴィーなベースが心地よいノリを作り上げてます。

 

この曲では、どちらかというと、言葉を詰め込むラップの要素より、楽曲のメロに合わせて歌ってる部分が多い、という点が他の曲とちょっと異質なものとなっています。
中東の怪しい雰囲気の楽器も入ってきて、不思議な雰囲気を醸し出してます。

 

9曲目は、MACHO MACHO(マッチョ・マッチョ)。

 

英米で流行っている、シンセ中心のダンスビート曲です。
都会的でおシャレでダンディで、とてもマッチョに思えないファルコが、マッチョを題材にするところがまたユーモラスでいいですね。
また、マッチョ・マッチョのタイトル連呼の中で、チョマチョマ、って感じになる言葉遊びもとても楽しいです。
80年代ど真ん中のシンセポップ曲に仕上がってます。

 

ラスト10曲目は、IT’S ALL OVER NOW,BABY BLUE(すべて終りさ、ベイビー・ブルー)。

 

なんとここでボブ・ディランの楽曲のカヴァー曲の登場です。
ハーモニカ、アコギを中心にアコースティックにプレイされる本家とは異なり、ベースにトランペット、ピアノを使った、ジャズテイスト風味に仕上がっています。
僕のイメージでは、夜霧の中に浮かぶ船で、ウィスキーのロックを片手に飲んでいる、って情景の浮かぶ楽曲になっています。

 

この曲も、ラップではなくメロディアスに歌い上げることで、本家へのリスペクトも感じられます。
なかなか感情の乗った良いヴォーカルに感じられます。

 

ラストはグラスを合わせて、おしゃれに終わっていきます。

まとめとおすすめポイント

1985年リリースのFALCO(ファルコ)の3rdアルバム、FALCO 3(ロック・ミー・アマデウス)はビルボード誌アルバムチャートで第3位、アメリカで50万枚を売り上げています。
また、母国オーストリアではデビュー以来3作連続でNo.1、スイスでもNo.1を獲得しています。

 

華々しいデビュー、苦労した2nd、そして再びスターダムにのし上がったファルコの会心の作品となりました。
特に今回はアメリカ市場をだいぶ意識してたように感じられます。
もともと、小さなころからプレスリーをはじめとするアメリカの音楽に慣れ親しみ、ポップスターを目指すようになったわけですから、当然アメリカ市場での成功(=世界制覇)が念頭にあったのは当然と言えるかもしれません。
そのために、この3作目では、ドイツ語に英語を混ぜた、オリジナルなラップを開発し、大きな支持を集めました。
また、ザ・カーズ、ボブ・ディランのカヴァー曲を入れてますし、「アメリカよ」という楽曲を入れるなど、明らかにアメリカを意識していることが感じられます。
加えて、先行シングル「ロック・ミー・アマデウス」のコミカルなPVなんかも、完全にMTVで耳目を集めるのに大きく効を奏していたに違いありません。
そんな戦略を駆使して、見事に世界的な大ヒット作を生み出すことになりました。

 

やはりドイツ語圏のアーティストとして、世界制覇に立ちはだかるのはその言語の壁だと思われます。
しかし、英語を織り交ぜながらも、ドイツ語のラップの語感、響きの点で、すごく魅力的な世界を生み出していますね。
言葉の分からない日本人の僕でも、ファルコのドイツ語ラップがとても新鮮に聞こえ、楽しむことができました。
きっとドイツ語圏以外の国々でも、その「言葉の音」自体そのもので十分に楽しめたのが成功の秘訣だったのではないでしょうか。

 

音楽もバラエティに富んでおり、多種の音楽に乗せるファルコのラップも多様です。
そんな中で、バラードでは楽曲の美しさも目立っています。
ラップの下に隠れがちですが、彼の音楽性もなかなか秀でていると僕には感じられます。
きっと、あのモーツァルトを生み出したオーストリアの風土が、彼に優れた音楽的な才能をも与えていたのかもしれません。

 

とにかく、聞いて楽しめる、という点でなかなか傑作なアルバムとして、お勧めしたいと僕は思っています。

 

そんなファルコですが、この後8枚のアルバムを残した後、1998年2月6日、自動車事故により亡くなっておられます。
この記事を書くために情報を集めていて初めて僕はこの事実を知りました。
享年40歳と言うことで、ほんとうに若くして亡くなったのは残念でなりません

 

彼は生涯で2000万枚のアルバムと、4000万枚のシングルを売り上げています。
これによって彼は、最高の売り上げを残したオーストリアのシンガーとして記録されています。

 

彼の残したこの作品は80年代中期に閃光のように輝き、世界中の人にその存在を印象付けました。
今でも、作品と共に、人々の記憶の中に強烈に残っていると思います。
きっとファルコは偉大な作曲家モーツァルトと共に、オーストリアの、そして世界の音楽の歴史にその名前を刻み続けるのではないかと思います。

 

R.I.P.(rest in peace)、ファルコ。

チャート、セールス資料

1985年リリース

アーティスト:FALCO(ファルコ)

3rdアルバム FALCO 3(ロック・ミー・アマデウス)

ビルボード誌アルバムチャート第3位 アメリカで50万枚セールス

1stシングル ROCK ME AMADEUS(ロック・ミー・アマデウス) ビルボード誌シングルチャート3週連続No.1、同誌Dance Club Songsチャート第4位、同誌Hot R&B/Hip-Hop Songsチャート第6位

2ndシングル VIENNA CALLING(ウィーン・コーリング) シングルチャート第18位