アメリカの声とも呼ばれたハードロッカーの名盤 SAMMY HAGAR(サミー・ヘイガー) – VOA(VOA (ヴォイス・オブ・アメリカ))
サミー・ヘイガーとの出会い
僕がこのSAMMY HAGAR(サミー・ヘイガー)と出会ったのは、他でもないあのPVを見てのことです。
曲は、I CAN’T DRIVE 55(非情のハイウェイ55号)。
そのPVでは、自慢のFerrariBB 512i(フェラーリ512BBのマイナーチェンジ版のフェラーリ512BBi)で快調に飛ばすも、渋滞で抜けずにイライラ。
加速して追い抜いたところに警察と出くわし逮捕され、そこで「俺は制限時速55マイル(時速88kmくらい)なんかで走れるか!」と主張する、なんともコミカルな様子が描かれてます。
ちなみにこのフェラーリは僕の小学生時代に流行ったスーパーカーブームの中での人気車種の一つでしたので、非常に懐かしくかっこよく思ってました。
小学生当時は、ブロマイドカードで写真でしか見たことがなかったわけですが、こうしてPVの中でぶっ飛ばしている映像で512BBと再会できるとは、それは感激でしたね。
それはさておき、まあ楽曲もハイウェイを疾走するイメージとピッタリで、これこそアメリカンロックだ、と非常に気に入ってたのでした。
サミー・ヘイガーとは
このサミーは非常にキャリアが長く、彼は14歳の時(1961年ごろ)に早くも自分のバンド、The Fabulous Castillesを率いています。
そして、ヴォーカリストやギタリストとして、さまざまなバンドを渡り歩いていきます。
転機となったのは、セッションミュージシャンとして活躍していたギタリストRonnie Montrose(ロニー・モントローズ)の立ち上げたバンド、MONTROSE(モントローズ)にヴォーカリストとして参加したことですね。
ロニーのドライヴ感あふれるギタープレイと、サミーのロックヴォーカルは相性が良く、アメリカンハードロックサウンドを生み出します。
モントローズとしてのデビュー作は1973年の1stアルバム、MONTROSE(ハード☆ショック!)で、ビルボード誌アルバムチャートで第133位を記録。
続く、1974年の2ndアルバム、PAPER MONEY(ペイパー・マネー (灼熱の大彗星))は同チャートで第65位を記録しています。
テッド・テンプルマンによってプロデュースされたこのモントローズの2作品(1stはロニーとの共同プロデュース)は、ちょっとハード目のアメリカンロックアルバムとして、ファンの間で根強い人気を誇っています。
また、VAN HALEN(ヴァン・ヘイレン)のアルバムの最初の6作品(1stから1984まで)は連続してテッド・テンプルマンによってプロデュースされていたことを考えると、後のサミーのヴァン・ヘイレン加入の布石のようなものはこの時点であったのかもしれません。
こうして、大ヒットというわけにはいかなかったものの、そこそこのアメリカンハードロック作品を制作し、サミーはメジャーでのキャリアを積み始めました。
ところが、2作目のヨーロッパでのプロモーションツアー中までには、ロニーとサミーとの関係が悪化しピークに達します。
そのため、サミーはこの2作品を残してモントローズを脱退。
この辺は、後のヴァン・ヘイレン脱退の際にデジャヴとして感じられる出来事ですね。
なかなかバンド内の人間関係って難しいようですw
ここから、サミーはソロとしてキャリアを重ねていくことになります。
1976年、ソロ1stアルバム、NINE ON A TEN SCALE(ナイン・オン・ア・テン・スケール)
1977年、2ndアルバム、SAMMY HAGAR(サミー・ヘイガー)
1977年、3rdアルバム、MUSICAL CHAIRS(ミュージカル・チェアーズ)。
1979年、4thアルバム、STREET MACHINE(ストリート・マシーン)。
1980年、5thアルバム、DANGER ZONE(バイオレンスの逆襲)。
1982年、6thアルバム、STANDING HAMPTON(スタンディング・ハンプトン)。
1982年、7thアルバム、THREE LOCK BOX(スリー・ロック・ボックス)。
とまあ、こんな具合に順調にアルバムリリースしていってます。
そして、ソロ活動だけに自由度があると思われますが、さまざまなアーティストたちが集まって参加しているのも際立っています。
1st~3rdでは、キーボードには後のナイト・レンジャーのアラン・フィッツジェラルド。
3rd以降では、サイドギタリストに後のボストンのギャリー・ピール。
1stでは、ドラムスに後のジャーニーのエインズレー・ダンバー。
4thでは、ボストンからブラッド・デルプ、バリー・グドロー、シブ・ハシアンらが、一曲バックヴォーカルで参加。
5thでは、ジャーニーからスティーヴ・ペリーが数曲でバックヴォーカル、ニール・ショーンが一曲でギターで参加。
また、当初はボストンのトム・ショルツがアルバムのプロデュースをする予定でしたが、ボストンの所属レーベルから止められ、一曲のみを共同プロデュース。
6th、7thはプロデューサーに名手キース・オールセンを起用。
7thでは、キーボード&バックヴォーカルにジャーニーのジョナサン・ケイン。
他のバック・ヴォーカルにラヴァーボーイのマイク・レノ、Mr.ミスターのリチャード・ペイジが参加。
ざっと上げるとこんな感じで、意外と人脈も交友関係もあるイイやつなのか、と思いますね。
ヴァン・ヘイレン兄弟との確執などが目立ってしまって、やや難ありな人なのかなと思ったりしてましたが、けっこう多くのミュージシャンが集まってくるすごいロッカーだったと改めて感じましたw
アメリカでのセールスも6thは100万枚、7thは50万枚となり、着実にアメリカンロッカーとしての地位を確立していきました。
そして、この頃には、VOA(Voice of America)と称されるようになってきています。
Voice of Americaはアメリカ合衆国政府が運営する国営放送の名称で、「アメリカの声」という意味の放送局です。
これに引っ掛けて、サミーの声を「アメリカの声」と呼ぶようになってきた、というわけです。
キャリアを重ねて、ついにアメリカンロッカーとしてのポジションを完全に確立した、と思われますね。
そして、1984年5月には、HSASとして1983年末のライヴ音源を元にして制作されたセミライヴアルバム、THROUGH THE FIRE(炎の饗宴)をリリースします。
このHSASというバンドは、サミーとニール・ショーン、そしてKenny Aaronson(ケニー・アーロンソン)、Michael Shrieve(マイケル・シュリーヴ)の4人によるプロジェクトバンドで、4人の頭文字をとった名称になっています。
この作品がまた、アメリカンロックバンドとしての魅力のつまった作品で、とりわけギタリスト、ニールのプレイとサミーの熱唱のケミストリーが、邦題のとおり炎のような饗宴となっています。
そして、同年には自身の8thアルバムの制作に入ります。
今回はモントローズ時代の2作品のプロデューサーのテッド・テンプルマンと再びタッグを組み、アメリカンロックサウンドを追求していきました。
そして、タイトルには彼の称号でもある、VOA(アメリカの声)を持ってきます。
アメリカを代表する声との呼び声が本人もまんざらでもなかったようですね。
自分のアルバムにこんなタイトルを持ってくるとは、すがすがしいほど自信に満ち溢れているのを感じます。
では今日は、1984年にリリースされたSAMMY HAGAR(サミー・ヘイガー)の8thアルバム、VOA(VOA (ヴォイス・オブ・アメリカ))をご紹介したいと思います。
VOA(VOA (ヴォイス・オブ・アメリカ))の楽曲紹介
オープニングを飾るのは、I CAN’T DRIVE 55(キャント・ドライヴ55 or 非情のハイウェイ55号)。
僕が初めて耳にした、サミーの問答無用の爽快痛快アメリカンロックンロール曲です。
ドラムの連打で始まるこの曲は、アメリカンロックを体現したかのような胸のすく楽曲になってますね。
キャッチーで、ドライヴ中に聞けば思わずアクセルを踏んでしまいそうな爽快感にあふれてます。
サミーのヴォーカルも冴えまくっていて、自慢のハイトーンがさらに楽曲を盛り上げます。
また、FerrariBB 512iの登場するPVがなんとも良くって、まだビデオデッキのない僕でも、音楽番組で何度もお目にかかってました。
これは、実際にサミーが経験した実話に基づいた楽曲となっていて、制限時速55マイル(時速88kmくらい)なんてトロトロは走れない、っていうのがタイトルの意味ですね。
しかし、邦題では「非情のハイウェイ55号」となってるものもあって、この表記だったら55号線を走れない、って意味になってしまいそうですよね。
ちなみに僕の持っているCDの邦題は、シンプルに「キャント・ドライヴ55」となってます。
どっちが正しいのか、わかりかねますが、少なくとも歌詞の意味からすると、前者のほうはちょっと違うのではないかと思います。
あと、このアルバムではほとんどの楽曲をサミーが作り、リードギターも彼のプレイになっています。
ギタープレイに関しては、そんなにハイテクではないのがちょっと惜しいです。
彼にはヴォーカリストとして専念するほうが、良い気もしてます。
とにかく、細かいことを抜きにして楽しめる、爽快なオープニングになってます。
これぞ、アメリカンロック、という楽曲でアルバムは幕を開けます。
この曲はアルバムの先行シングルとしてリリースされ、ビルボード誌シングルチャートで第26位、同誌Mainstream Rockチャートで第9位を記録しています。
2曲目は、SWEPT AWAY(スウェプト・アウェイ)。
ヘヴィなギターリフから始まっていくドラマティックな展開を持つ、なかなかの秀作です。
静かなABメロと、サビのはじけるサウンドとの静と動の展開が非常に良いですね。
曲調が変わる際のギターメロが、初期のモントローズのロニーのプレイの影響を受けてるようで、なかなかかっこよいです。
コーラスメインで歌い上げる中盤のメロディから再びハードなサビに入るところもかっこいいです。
サビの歌メロもキャッチーで、さらにバックバンドメンバーによるコーラスも効果的でとてもいい出来だと思います。
3曲目は、ROCK IS IN MY BLOOD(ロック・イズ・イン・マイ・ブラッド)。
ゆったりとしたリズムで進む楽曲ですが、非常に力強い曲ですね。
ロックは俺の血と魂の中にあると歌い上げる、サミーの自己紹介的なアンセムとなってます。
適度に楽曲を色づけるシンセの使い方が絶妙でいい雰囲気になってます。
ラストのサミーの咆哮もばっちりキマってます。
4曲目は、TWO SIDES OF LOVE(トゥー・サイズ・オブ・ラヴ)。
イントロのギターのハモリによるメロディが美しすぎます。
このメロディラインは、非常に強力ですね。
爽やかなサビの歌メロ、そこに絡むギターのハモリメロ。
なんとも心地の良いポップソングを作ってくれたものです。
この曲を聴くと、後のヴァン・ヘイレンの超名曲ドリームスを初めとして、サミーの作曲能力がいかにヴァン・ヘイレンのプラスになったかがわかる気がします。
アメリカンロッカー、というポジションは、ただ派手なロックを聞かせるだけでなく、こんな繊細で美しいメロディも生み出せるからこそ勝ち取ったものではないでしょうか。
非常に僕の好みのサウンド&メロディの楽曲となってます。
この曲は2ndシングルとしてカットされ、シングルチャートで第38位、Mainstream Rockチャートで第5位を記録しています。
5曲目は、DICK IN THE DIRT(ディック・イン・ザ・ダート)。
どっしりリズムのハードなロックソングです。
甲高いサミーのヴォーカルと、それに呼応するギターリフがなかなか面白い楽曲になってます。
ギターソロではタメをたっぷりきかせたブルージーなプレイを聞かせてくれてます。
サビの歌メロもフックがあって、悪くない出来です。
6曲目は、VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)。
ふたたび、痛快なハードドライヴィングロックンロールを聞かせてくれます。
タイトルトラックでもあり、気合が入ってますね。
この曲も、ギターリフが非常にかっこよいです。
サビの盛り上がりも、キャッチー&ハードで、爽快感を感じられます。
ギターソロはイマイチですが、とにかく勢いで乗り切ってるところがいいですね。
この曲もPVが作成されており、ここでもサミーはコミカルな演技を見せていますね。
スパイもどきの大活躍で、超ノリノリでなりきってます。
まだ冷戦まっただ中の時期に、世界を舞台にかけまわるアメリカンロッカー、かっこよすぎます。
もう、なんの躊躇もなく楽しめる、アメリカンハードロックの典型というものを見せてくれていると思います。
7曲目は、DON’T MAKE ME WAIT(ドント・メイク・ミー・ウェイト)。
アルバム中、この曲だけバックバンドの Jesse Harmsとの共作となっています。
ここでアルバム中初のバラード登場です。
非常に力強いパワーバラードですね。
イントロのギターソロメロディから見事に引き込まれます。
最初のロングノートだけでも、非常にかっこいいです。
Aメロで、叙情的に歌い上げるサミー。
そしてBメロでは、歌メロも次第に盛り上がっていき、そこからサビが来そうで来なくていったんイントロのギターのロングノートに戻り、Aメロに戻ったと思うとサビへ突入。
この展開が、非常におもしろくできてると思いますね。
そのサビも、とてもキャッチーなメロディです。
このメロディラインは、なんか切なさも含んでいて、心の琴線に触れるメロだと思います。
また、他の曲に比べると、シンセも多めに使われてゴージャス感もあります。
この辺のつくりも非常によくできたバラードだと思います。
ラスト8曲目は、BURNIN’ DOWN THE CITY(バーニン・ダウン・ザ・シティ)。
ヘヴィなロックでラストを飾ってます。
どっしりとしたリズムに乗せて印象的なリフを中心にしてそこにサミーのシャウトが乗っかってます。
まあ、迫力はありますが、可もなく不可もない、って感じでしょうか。
しかし、アメリカンロッカーのアルバムとしては悪くないエンディングではないでしょうか。
まとめとおすすめポイント
1984年にリリースされたSAMMY HAGAR(サミー・ヘイガー)の8thアルバム、VOA(VOA (ヴォイス・オブ・アメリカ))はビルボード誌アルバムチャートで第32位、アメリカで100万枚を売り上げました。
ヴォイス・オブ・アメリカ(アメリカの声)と称されたサミーが、名実ともにその称号にふさわしいことを知らしめた好盤となったのではないでしょうか。
アメリカではすでにロックヴォーカリストとして地位を築いていましたが、日本ではそこまでメジャーではなかったと思います。
しかし、このアルバムで一気に日本だけでなく世界で知名度を上げたのではないでしょうか。
その要因としては、やはり1984年というMTV真っ盛りの時代に、コミカルなPVを連発したのが真っ先に挙げられるでしょう。
キャント・ドライヴ55やヴォイス・オブ・アメリカで見せたコミカルな演技は、多くの音楽番組で繰り返し放送されてました。
この同じ年には、ヴァン・ヘイレンもアルバム「1984」から、PV絡みでヒットを量産してたころですから、まさに時代に合った戦略だったと思いますね。
そして、当然ながら楽曲の良さもヒットの理由になってるとも言えるでしょう。
胸をすくような爽快なアメリカンロックにキャッチーな歌メロを乗せたサミーの音楽性は、多くのリスナーの耳を奪ったに違いありません。
また、トゥー・サイズ・オブ・ラヴやドント・メイク・ミー・ウェイトで聴ける美しいメロディラインは、サミーのミュージシャンとしての才能を見せつけるものとなっています。
さらに80年代中盤ということで、バンドサウンドに適度にシンセが色づけているところも時代を感じさせてます。
そんな自信作ですが、アルバムタイトルにまで自身の称号VOAを持ってくるところに彼の自信とユーモアが見られます。
アルバムジャケットではホワイトハウスの敷地にギターを持ったサミーがパラシュートで着陸してるシーンが使われてますが、こんなシュールなユーモアもサミーの人間性を感じられて非常にいいですね。(ちなみに、実際にやってみたかったのですが、セキュリティの問題でさすがにそれはかなわず、このジャケットでは合成写真が使われているようです。)
とまあ、いろいろ破天荒なアメリカンロッカーとしての強烈な個性と優れた音楽性の両立により、このアルバムのヒットは生まれたと思いますね。
しかし、この翌年に彼がヴァン・ヘイレンにヴォーカリストとして加入するなんて、誰が予想していたでしょうか。
そのニュースを聞いてぼくはたまげましたけどねw
しかし、それが効を奏して、ヴァン・ヘイレン在籍時の4枚のアルバムがすべて全米No.1を取るなんて、サミー獲得はヴァン・ヘイレンにとってもミラクルとなりましたし、サミーにとっても自身のキャリアを見事に高めたと思いますね。
まあ、そうした激動の変化が後に起こるわけですが、そんなことともつゆ知らず、このアルバムでは自由奔放に歌い上げるサミーのヴォーカルが楽しめます。
確かにギターソロなど、ちょっと物足りないところもありますが、全体としては非常にかっこよいアメリカンロックアルバムになっています。
ヴァン・ヘイレン以前の奔放なサミーの姿が楽しめる好盤だと思います。
チャート、セールス資料
1984年リリース
アーティスト:SAMMY HAGAR(サミー・ヘイガー)
8thアルバム、VOA(VOA (ヴォイス・オブ・アメリカ))
ビルボード誌アルバムチャート第32位 アメリカで100万枚のセールス
1stシングル I CAN’T DRIVE 55(キャント・ドライヴ55 or 非情のハイウェイ55号) ビルボード誌シングルチャート第26位、同誌Mainstream Rockチャート第9位
2ndシングル TWO SIDES OF LOVE(トゥー・サイズ・オブ・ラヴ) シングルチャート第38位、Mainstream Rockチャート第5位