アメリカンロックの名作アルバム BRUCE SPRINGSTEEN(ブルース・スプリングスティーン) – BORN IN THE U.S.A(ボーン・イン・ザ・U.S.A.)

ブルース・スプリングスティーンとは





僕が初めてBRUCE SPRINGSTEEN(ブルース・スプリングスティーン)の名前を聞いたのは、まだ洋楽を聞き始めて1年くらい経ってのことで、FMラジオで彼の新作が出る、というニュースが流れた時のことだったと思います。
アメリカンロックの超大物が久々にアルバムを出す、ということで、僕は勝手におどろおどろしいイメージを持ったものでした。
なぜかというと、やはり「ブルース・スプリングスティーン」という名前が、僕にとっては非常にごつくてインパクトが強すぎたからでした。
なので、どちらかというと、非常に悪くて激しいロッカーに違いないという先入観を持ってしまったのでした。

 

しかし、それからしばらくしてやってきた先行シングルのダンシン・イン・ザ・ダークのPVを見るに、軽快でダンスビートの目立つロックンロールで、けっこう爽やかに歌ってるのを見てちょっと拍子抜けしたのを思い出せます。

 

そんなブルースは、非常にキャリアの長いロッカーでした。
血筋としては、オランダ系、アイルランド系、イタリア系のアメリカ人を両親に持っていて、要するに移民の子孫ということでその立場で母国アメリカを見つめることになったのでした。

 

1964年、15歳ごろにエド・サリヴァンショーでのビートルズを見てインスパイアされたブルースは初めて自分のギターを買います。
そして、人前で歌うことを始めていきます。
いろんなバンドを経験していきますが、そんな中、19歳の時にベトナム戦争への徴兵検査を受け、不合格になります。
17の時のバイク事故の脳震盪の後遺症が原因だったようで、身体検査で落ちたわけです。
結果的にこれは命拾いになった可能性があるわけですが、その後のベトナム戦争と国家の在り方への見方に大きな影響を与えたと思います。

 

その後もギタリストとして、ヴォーカリストとして、そしてソングライターとして経験を積んでいきます。
様々な場所で様々なアーティストとギグを繰り返していくうちに、その才能は高く評価されていきます。
そしてそうした活動が Columbia Recordsのジョン・ハモンドの目に留まります。
ジョンはそれまでにボブ・ディランをはじめ、数多くのアーティストを発掘し世に送り出してきた大物でした。

 

そして1972年に、後にE Street Band(Eストリートバンド)と呼ばれるようになるバンドを結成し、ついに1973年、アルバム、Greetings from Asbury Park, N.J.(アズベリー・パークからの挨拶)でデビューを飾ることになりました。(全米第60位)

 

その後、1973年に2ndアルバム、The Wild, the Innocent & the E Street Shuffle(青春の叫び)(全米第59位)
1975年に3rdアルバム、Born to Run(明日なき暴走)(全米第3位)
1978年に4thアルバム、Darkness on the Edge of Town(闇に吠える街)(全米第5位)
1980年に5thアルバム、The River(ザ・リバー)(全米No.1)
1982年に6thアルバム、Nebraska(ネブラスカ)(全米第3位)とキャリアを重ねていきます。

 

1st、2ndは批評家には好評でしたが、セールスには結び付いていません。
大ブレイクしたのは3rdの明日なき暴走ですね。
2曲のシングルヒット(明日なき暴走、第23位、凍てついた十番街、第83位)もありましたが、アルバム収録のほとんどの曲がラジオでかかりまくったようです。
これは14か月の苦闘の末に生み出されたアルバムで、ついに世界的なロックンローラーとしての知名度を上げることに成功したのでした。
続く4thでは、より引き締まったサウンドの中に彼の知的、政治的な目覚めが封入されて彼のロックが確立していき、それも高く評価されています。
5thではなんと初の2枚組をリリース、人生のいい面と悪い面、ハッピーな曲と暗い曲、人の力強さと弱い面など、対照的なものをミックスしたこの大作はついに全米でNo.1をとることになりました。
6thでは、デモ音源を軽くミックスしたような、バンド抜きのアコースティックアルバムをリリース。
ハーモニカ、ギター、オルガンを初めとしてほぼすべての楽器を自身で演奏し、優しく歌い上げています。
前のアルバムでいったんピークをつけた彼のキャリアを少しさますかのような癒しと内省のアルバムとして、これも高い評価を得ています。

 

こうして、アメリカンロックンローラーとして、確固たるポジションを得たブルースでしたが、決してこの作品で力を抜いて休んでいたわけではないようです。
6thのネブラスカのリリース頃から、すでに次のアルバムに含まれる新曲のレコーディングを始めています。
早くもタイトルトラックのボーン・イン・ザ・U.S.A.は1982年の5月に完成し、1984年2月のダンシング・イン・ザ・ダークで12曲すべてが出来上がりました。

 

そんなころに僕は超大物ロックミュージシャンが帰ってきた!というニュースを耳にしたわけです。
前作のネブラスカがアコースティック作品だったので、ロックアルバムとしては5th以来の4年ぶり、ということもあり、多くのリスナーが待ち受けていたものと思われます。

 

そして到着した作品は、確かにアメリカンロックの魅力の詰まった素晴らしいアルバムでした。

 

では今日は1984年リリースの、BRUCE SPRINGSTEEN(ブルース・スプリングスティーン)の7thアルバム、BORN IN THE U.S.A(ボーン・イン・ザ・U.S.A.)をご紹介します。

BORN IN THE U.S.A(ボーン・イン・ザ・U.S.A.)の楽曲紹介

オープニングを飾るのは、タイトルトラックのBORN IN THE U.S.A(ボーン・イン・ザ・U.S.A.)。

 

デビュー間もないころからTHE BOSS(ボス)の愛称で呼ばれていたブルースですが、これこそボスの叫びだ、と感じられる楽曲で力強くアルバムは始まります。

 

やはりこの曲ではドラムスのスネアの音が非常に強烈ですね。
Eストリートバンドのドラマー、Max Weinberg(マックス・ワインバーグ )のプレイです。
ゲート・リヴァーヴ処理をしたスネアが、まさにボスの叫びとともに響いています。

 

この曲はベトナム戦争からの帰還兵が、母国に帰った後に直面した苦悩をテーマにした楽曲です。
前述のように、彼自身は不合格でベトナムに行かなかったことを考えると、非常に複雑な思いを持ったのは否めません。
また、ベトナム帰還兵をモチーフに用いていますが、同時に労働者階級の悲哀もテーマに含まれています。
そのような視点でサビのタイトル連呼、「俺はアメリカで生まれた!」を聞くと、非常に悲しく寂しい気持ちがそこに感じられるのではないでしょうか。

 

ところが、サビの部分だけ切り取ると、非常に愛国的でアメリカ至上主義を感じられる雰囲気にもとらえることができそうです。
そのため、多くの人たちに誤解され、あるいは故意に曲解されてきた曲でもあるわけです。
特に、僕なんかも英語の歌詞を知らずに聞いていたので、PVでこぶしを突き上げてサビを連呼するのを見て、アメリカ万歳的な歌と思っていましたね。
しかし、ブルースの言わんとしていた本当のところはそうではなかったということです。

 

もともと、デモテープの時点ではアコースティック・ヴァージョンとして前作のネブラスカに収録されそうでしたが、結局バンドを加えてこのアルバムでの収録になりました。
これは正解だったと思いますね。
この力強い楽曲はブルースの代表的なロックソングのひとつになったのは間違いないでしょう。

 

この曲はアルバムからの3rdシングルとしてカットされ、ビルボード誌シングルチャートで第9位、同誌Mainstream Rockチャートで第8位を記録しています。

 

2曲目は、COVER ME(カヴァー・ミー)。

 

この曲は、元々、ゲフィンレコードから依頼されてドナ・サマーのためにブルースが書き下ろした楽曲でした。
しかし、ブルースのマネージャーのジョン・ランドーに、これはヒットのポテンシャルがあるから渡すな、と差し押さえられた楽曲です。
そのため、ブルースはまた別のProtectionという曲を作ってドナにあげました。
ジョン・ランドー、せこいのか、根っからのビジネスマンなのかどちらかでしょう。

 

ギターのクリーンカッティングの切れが良く、ダンサブルなロック曲となってます。
また、リードギターもブルージーでかっこよいです。

 

この曲は2ndシングルとしてカットされ、シングルチャートで第7位、Mainstream Rockチャートで第2位、同誌Dance Club Songsチャートで第11位を記録しています。

 

3曲目は、DARLINGTON COUNTY(ダーリントン・カウンティ)。

 

大地の匂いのするような泥臭くも軽快なロックンロールです。
アーシーなギタープレイに、オルガンとホンキートンク系のピアノが適度に色づけて軽やかな楽曲になっています。
ライヴでは間違いなく盛り上がるに違いないサビでのシンガロングパートも楽し気です。
間奏では、サクソフォンが渋く楽曲を盛り上げます。

 

最後はみんなで合唱して終わる、ハッピーな楽曲です。

 

4曲目は、WORKING ON THE HIGHWAY(ワーキング・オン・ザ・ハイウェイ)。

 

この曲もタイトルトラック同様、タイトルの違うデモ音源から、アコースティックアルバムのネブラスカに入りそうになってました。
しかし、バンドが音を加えてこのアルバム収録になった内の一曲です。

 

50年代のオールドロックンロールのような軽快なノリで、これもとても楽しめる楽曲ですね。
この曲もライヴ映えする曲で、アコースティックでなくて正解かもしれません。

 

5曲目は、DOWNBOUND TRAIN(ダウンバウンド・トレイン)。

 

この曲もネブラスカ候補だった曲の一つです。

 

これは、連れを失ったことへの嘆きを歌ったもので、歌唱に憂鬱な雰囲気があふれてます。
人生における悲しみと転落を、下り列車に乗ってる気がする、と例えている歌詞も秀逸ですね。
この内容の曲であれば、ネブラスカの雰囲気にもハマったのかもとも思われますね。

 

しかし、この曲は批評家のウケがとてもよく、アルバム中で最もいい曲、とか彼のキャリアで最も悲しい曲、などと評されています。
バンドサウンドが加わったとはいえ、ブルースのヴォーカルによって、しっかりと悲しみが表現されています。

 

6曲目は、I’M ON FIRE(アイム・オン・ファイア)。

 

静かな静かなささやくような楽曲です。
通常のドラムではなく、打ち込みの音のようなリズムパターンに、ミュート気味のギターリフ、そしてささやかなシンセの音。
すごくシンプルな音をバックに、ブルースは優しく歌い上げています。

 

タイトルは「俺は燃えている」ってことですが、地味目の静かな楽曲の中で、燃える内なる欲望について歌っているようです。

 

ブルースが自動車工の労働者を演じるこの曲のPVは、MTV Video Music Award for Best Male Video(最優秀男性ビデオ賞)を受賞しています。

 

この曲は4thシングルとしてカットされ、シングルチャートで第6位、Adult Contemporaryチャートでも第6位を記録しています。

 

7曲目は、NO SURRENDER(ノー・サレンダー)。

 

B面1曲目にあたるこの曲は、シンプルなロックンロールを聞かせてくれます。
やはり、アメリカンロックと言えば、こんな曲だろうというお手本のような楽曲です。
静かな曲もいいですが、僕はブルースにはこんなロックを求めてしまいます。

 

Eストリートバンドの軽快で堅実な演奏も映えるこの曲は、シングルカットはされていませんが、Mainstream Rockチャートで第29位を記録しています。

 

8曲目は、BOBBY JEAN(ボビー・ジーン)。

 

ピアノの味付けが爽やかなこれまた心地よいアメリカンロックです。

 

ずっと親友だった友が旅立ってしまうけど、どこにいるかわからない親友に向かってエールを送る、友情の歌になっています。
シングルカットされなかった曲の中でも、けっこう人気の高い楽曲となってます。
アウトロでたっぷり聞かせてくれる、Clarence Clemons(クラレンス・クレモンズ)のサックスプレイが楽曲を哀愁味たっぷりに盛り上げています。

 

この曲もシングルカットされませんでしたが、Mainstream Rockチャートで第36位を記録しています。

 

9曲目は、I’M GOIN’ DOWN(アイム・ゴーイン・ダウン)。

 

力強いドラムとともにグイグイ進んでいく明るく元気なアメリカンロックです。
歌詞は、歳と共に落ち込んでいく気持ちを歌ったものですが、対照的に明るいサウンドが非常に心地よいです。
クラレンスのサックスソロも豪快に盛り上げ、やはりEストリートバンドの手堅いバンドサウンドによって、なかなかの佳曲に仕上がってると思います。

 

この曲は6thシングルとしてカットされ、シングルチャートで第9位を記録しています。

 

10曲目は、GLORY DAYS(グローリィ・デイズ)。

 

これも楽しいアメリカンロックですね。
ゆったりとしたビートですが、ドラムスはビシっとキマってます。
また、懐かしい感じのオルガンの音やホンキートンク風のピアノ等がカラフルに曲を彩ってます。

 

PVではバンドと共にプレイしてるパートがメインになってますが、とっても楽しそうにプレイしてますね。
ライヴで人気になるはずですよね。
また、過去の栄光の日々を懐かしんで野球をしてるブルースの小芝居も見れます。

 

この曲は5thシングルとしてカットされ、シングルチャートで第5位を記録しています。

 

11曲目は、DANCING IN THE DARK(ダンシン・イン・ザ・ダーク)。

 

僕が初めて出会ったブルースの楽曲です。
PVで見たのが初めてだったのですが、アメリカンロッカーの超大物の久々の曲という触れ込みだったため、変な先入観があったのですが、すぐに吹っ飛びました。
なんとも爽やかなTシャツジーンズ姿の好青年が、踊りながら歌うステージはとても好印象を持ちましたね。
また、最後にステージ真下の客席で目を輝かせてる女の子をステージに引き上げ、一緒に踊るのもとても魅力的なシーンでした。
それも、めっちゃかわいいアメリカンガールで、後で知ることになったのですが、それは後にフレンズや映画スクリームなどで人気になる、無名時代のコートニー・コックスだったんですね。
ブルース自身も彼女が女優志望のモデルさんとは思わず、選ばれたファンの子だと思っていたようです。
当時20歳くらいのコートニー、めっちゃかわゆいです。

 

曲に関して言えば、僕の先入観では、ロックとダンスってあまり調和してるようには思えなかったので、帰ってきたアメリカンロッカーがダンスするってどうなんだろ、って最初は思いました。
でも、アメリカってそんな国なんですよね。
ダンスが生活に溶け込んでる、そんな文化の違いだったと次第に気付くことができました。

 

楽曲はシンプルでキャッチーなロックンロールです。
ブルースにしては珍しく、シンセによる16ビートが曲全体に味付けしてますね。
それによって8ビートのロックンロールと16ビートのシンセによるダンスビートが融合して、ロックとダンスがしっかりミックスされています。
ダンス曲としても、なかなか良い出来になってると思います。

 

もともと、1982年の春からの長期にわたるレコーディングの中で、この曲が生まれる前に新アルバムが完成しようとしていました。
しかし、マネージャーのジョン・ランドーは、このアルバムにはヒットシングルが必要だ、と主張しそれにふさわしい曲を作るよう要求します。
それに対してブルースは、「俺はもう70曲も作ってきた。それなのにお前はさらにもう一曲と言う。だったらお前が作れ。」って感じで答えたようです。
でも、親友でもあるマネージャーの言葉を受け入れたブルースはホテルの一室で、一晩で書き上げました。
それが、この大ヒット曲となる、ダンシン・イン・ザ・ダークだったのです。

 

これまでの大ヒットアルバムによる成功に伴って生じてきた孤独や怒り、フラストレーションといった感情がこの楽曲には込められています。
それでも、暗い曲にはならずに、さわやかなダンスロックに仕上げたところに彼の才能を感じますね。
わずか一晩で、80年代を代表する曲の一つが誕生したというわけです。

 

この曲は、Grammy Award for Best Male Rock Vocal Performance(グラミー賞 最優秀男性ロックボーカルパフォーマンス)を受賞し、彼のキャリアでの初のグラミー賞受賞となりました。

 

この曲はシングルチャートで4週連続第2位、Mainstream Rockチャートで6週No.1、Dance Club Songsチャートで第7位を記録しています。
ちなみに、シングルチャートで4週の間、ブルースのNo.1を阻止して一位に君臨していたのはプリンスの「ビートに抱かれて」でした。

 

ラスト12曲目は、MY HOMETOWN(マイ・ホームタウン)。

 

柔らかなシンセサウンドに包まれてブルースが自分の故郷の町についての感慨を述べる優しい歌です。
自分が小さかった頃に親父とのノスタルジックな思い出とともに残る故郷の風景。
そんな中で年を経るにしたがって、町は争いごとで満ち、仕事は失われ、そして荒廃していきます。
自分にも家族ができた今、ここに住むのはもう無理と南へ移ろうと車に乗り込みます。
そして、自分の息子に、ここがお前の故郷の町だ、とかつて親父がしてくれたように目に焼き付けさせる、そんな悲哀の情景が切り取られた歌になっています。

 

恐らく、アメリカの多くの小さな町で同じことが繰り返されてきていると思われますね。
そんな荒れた故郷を捨てないといけない、アメリカの多くの家族、父親を代弁した印象的な楽曲となっています。

 

この曲は7thシングルとしてカットされ、シングルチャートで第6位、Mainstream Rockチャートで第6位、Adult ContemporaryチャートではNo.1を記録しています。

まとめとおすすめポイント

1984年リリースの、BRUCE SPRINGSTEEN(ブルース・スプリングスティーン)の7thアルバム、BORN IN THE U.S.A(ボーン・イン・ザ・U.S.A.)はビルボード誌アルバムチャートで7週連続でNo.1を獲得します。
さらに、ビルボード誌の1985年の年間チャートでもNo.1を記録しています。
ちなみに1984年の年間チャートで第28位、1986年の年間チャートで第16位と、非常に長期にわたって売れまくったことがわかります。(143週にわたってTop200をキープしています。)
また、アメリカだけでなく、オーストラリア、オーストリア、カナダ、オランダ、ドイツ、ニュージーランド、ノルウェー、スウェーデン、スイス、イギリス、といった国々のチャートでもNo.1を獲得しています。(日本のオリコンチャートでも第6位)。
そして、売り上げはアメリカだけで1500万枚を記録し、2012年の時点で世界中で3000万枚を売り上げたと記録されています。

 

これだけのアルバムの大ヒットの主要な要因はやはり、7曲のTop10シングルヒットを量産したことだと思われます。
マイケル・ジャクソンのスリラーは9曲中7曲をTop10に送り込むという偉業を成し遂げましたが、ブルースの12曲中7曲のTop10ヒットも負けず劣らずすごい記録だと思いますね。
僕も、7曲目のマイ・ホームタウンがカットされたときはマジか??と思いましたが、しっかりとTop10に食い込んできた日には脱帽するしか仕方ありませんでした。

 

この作品で、元々アメリカンロッカーとして存在感はあったものの、その存在を決定づけたことは間違いないでしょう。
「アメリカで生まれた」というタイトル、星条旗に向かう後ろ姿を撮影したアルバムジャケット。
そしてタイトル曲でこぶしを突き上げながら「俺はアメリカで生まれた」と連呼するその様は、まさにアメリカを代表するロッカーとしてふさわしいと思われます。

 

しかし、ブルースはアメリカ万歳!と歌っていたわけではないのは、歌詞をよく聞いたり読んだりすれば明らかなのですが、イメージだけが独り歩きしてしまった感じがあります。
安易に「俺はアメリカで生まれた」の繰り返しを流せば、愛国的な雰囲気が漂うってわけです。
それが、本人の主張とは異なる政治的なプロパガンダとして利用されたりしてしまったのは残念なことですね。

 

でも、結局ブルースはアメリカ万歳ではなく、一般的なアメリカ市民、労働者階級であることに伴う苦痛や悲しみ、切なさなどを歌にしたわけですね。
だからこそ、多くのリスナーの共感を得て、大ヒット作へと成長していったのだと思います。

 

とはいえ、それ以上にアメリカ以外の日本を含めて世界中で大ヒットした理由は、楽曲の良さではないでしょうか。
シンプルなアメリカンロックの名曲が詰め込まれています。
全曲ブルースによる作詞作曲ですが、いい曲を書き続けていますね。
Eストリートバンドによる、手堅い演奏もそれを最大限に盛り上げています。
また、ライヴでは楽しそうなバンドの絆や結束が垣間見えますよね。
こういう、音楽的な楽曲の良さこそが、このアルバムの大ヒットの最大の要因ではないかと思っています。

 

80年代のど真ん中に、アメリカンロックそのものを体現したかのようなアルバムとなっています。
アメリカに生まれたロッカーの魂の叫びを封入した作品で、それゆえに、アメリカの象徴として見られるのも仕方ないかもしれません。
しかし、ブルースは、アメリカンロッカーとしてというより、一人の人間としてのすべてをさらけだした作品というほうが近いのかもしれません。
冷戦時代という背景により、強いアメリカのためのプロパガンダとしてしばしば利用されてしまったことは本意ではなかったと思いますが、作品そのものには国粋主義的な愛国心は含まれていません。
ただただ、アメリカに生まれた、という事実に伴って生じる感情や生活について一人のアメリカ人として歌っているアルバムになっています。

 

80年代を代表するアルバムの一つとして、また、ブルースの代表作としてこのアルバムはやはり必聴ではないかと思っています。

チャート、セールス資料

1984年リリース

アーティスト:BRUCE SPRINGSTEEN(ブルース・スプリングスティーン)

7thアルバム、BORN IN THE U.S.A(ボーン・イン・ザ・U.S.A.)

ビルボード誌アルバムチャート7週連続No.1 アメリカで1500万枚、全世界で3000万枚のセールス

1stシングル DANCING IN THE DARK(ダンシン・イン・ザ・ダーク) ビルボード誌シングルチャート4週連続第2位、Mainstream Rockチャート6週No.1、 Dance Club Songsチャート第7位

2ndシングル COVER ME(カヴァー・ミー) シングルチャート第7位、Mainstream Rockチャート第2位、Dance Club Songsチャート第11位

3rdシングル BORN IN THE U.S.A(ボーン・イン・ザ・U.S.A.) シングルチャート第9位、Mainstream Rockチャート第8位

4thシングル I’M ON FIRE(アイム・オン・ファイア) シングルチャート第6位、Adult Contemporaryチャート第6位

5thシングル GLORY DAYS(グローリィ・デイズ) シングルチャート第5位

6thシングル I’M GOIN’ DOWN(アイム・ゴーイン・ダウン) シングルチャート第9位

7thシングル MY HOMETOWN(マイ・ホームタウン) シングルチャート第6位、Mainstream Rockチャート第6位、Adult ContemporaryチャートNo.1