伝説の始まり MADONNA - MADONNA(バーニング・アップ)

MADONNA(マドンナ)との出会い





1984年の半ば、僕は一つのPV(プロモーション・ビデオ)を目にしました。
白い背景の前で二人の男を従えて、ダンスしている女性だ。
そのダンスの、なんとも言えないキュートさと、踊っている女性の不思議な魅力に惹かれたのです。

 

曲のタイトルはLUCKY STAR(ラッキー・スター)。
歌い踊っているのはMADONNA(マドンナ)という女性アーティストでした。

 

そのコケティッシュ(この言葉は後にスティーヴィー・ニックスについて知ったときに始めて知った言葉である。)な魅力と、非常に軽快なダンスチューンに、一気に引き寄せられてしまいました。
調べてみると、この曲は彼女のデビューアルバムからの4枚目のシングルということでした。
それで、そのアルバムを早速借りて聴いたのですが、それはすばらしく洗練されたダンスミュージックアルバムだったのです。

MADONNAとは

まずはマドンナとは、何て名前なんだ、というところから入ります。
何と、このとって付けたような名前は本名で、Madonna Louise Ciccone(マドンナ・ルイーズ・チッコーネ)と言います。
マドンナは早くに母親を乳がんで亡くし、その後父親の再婚など、家庭内で多くの変化を経験しています。

 

そして高校ではオールAの成績で、チアリーディング隊に所属。
高校卒業後、彼女はダンスを学ぶため、ミシガン大学の奨学金を得ます。
そして、父親を説得して、バレエのレッスンを受けるようになりました。

 

しかし、大学を中退、単身ニューヨークへと移ります。
そこではドーナツ屋でバイトしながら、ダンスの劇場でレッスンを受けてます。
当時のニューヨーク行きのことをマドンナはこう語っています。

飛行機に乗るのもタクシーに乗るのも初めてだった。
わたしはここ(N.Y.)に35ドルだけを持ってやってきた。
これは、今までにやった最も勇敢な行動だった。

彼女の、成功にかける一か八かの覚悟が感じられるエピソードになっています。
そして、次第に他のアーティストのバックダンサーとして踊れるようになってきます。
しかし、いいことばかりではありません。
ある夜遅く、リハーサルの帰りに複数の男たちにナイフで脅され、レイプまがいのことをされてしまいます。
彼女はこの件を自分が強い女になる必要があることを強く意識するため、決して忘れない、と語っています。

 

その後、当時付き合っていたDan Gilroy(ダン・ギルロイ)と共にBREAKFAST CLUB(ブレックファスト・クラブ)というロックバンドを結成します。
このバンドでマドンナは歌うだけでなくドラムとギターも演奏してます。
1980年か1981年ごろ彼女はバンドを離れ、かつての恋人だったドラマー、Stephen BrayとともにEmmy and the Emmysというバンドを結成。
二人は共に楽曲を作り始めますが、後に彼女は自分をソロシンガーとして売り出すことを決意します。
そして彼女の音楽を気に入ったDJであり、プロデューサーでもあるMark Kaminsが、マドンナと ワーナー・ブラザース・レコード傘下のSire Recordsと引き合わせ、ついに契約を得るのでした。

 

まずはシングルリリースの契約を得た彼女は、シングルを2枚リリースします。

 

デビューシングルが、EVERYBODY(エヴリバディ)で、ビルボード誌Dance Club Songsチャートで第3位を獲得。
2ndシングルがBURNING UP(バーニング・アップ)で、同じく第3位を獲得。

 

この2曲の成功により、ついにアルバム制作の契約を勝ち取ります。

 

そして、ついにセルフタイトルアルバム、MADONNA(邦題:バーニング・アップ)の制作を始めます。
当初、ワーナーブラザーズのReggie Lucas(レジー・ルーカス)のプロデュースの下、ほぼ完成しかかっていましたが、マドンナはその出来に満足できません。
それで当時の恋人のJohn “Jellybean” Benitez(ジョン・”ジェリービーン”・ベニテス)にアルバムの最終プロダクションを依頼、彼がアルバムのほとんどの曲をリミックスHOLIDAY(ホリデイ)に関しては彼がプロデュースして、ついにアルバムは完成します。

 

今日は1983年リリースのMADONNA(マドンナ)のデビューアルバム、MADONNA(邦題:バーニング・アップ)をご紹介します。
ちなみに後のアメリカのリイシュー盤ではMadonna: The First Albumとタイトルが変更されています。

MADONNA(邦題:バーニング・アップ)の楽曲紹介





アルバムのオープニングを飾るのはLUCKY STAR(ラッキー・スター)。

 

僕が初めてPVでマドンナと出会った曲です。
画面の中でダンスする彼女もキラキラしていたと思いますが、それ以上に音楽がキラキラしています。
イントロで音階を上下する美しいシンセは、これまでに聴いたことのないもので、強烈な印象を与えてくれました。
楽曲に加えられた様々な音たちも、とても新鮮で、非常に当時印象深いものでした。

 

というのも、当時の最先端技術がこのアルバムでは用いられていたようです。
LinnDrumというドラムマシーンMoogや、Oberheimのシンセサイザーがアルバム全体を彩っています。
このように、全編打ち込みカラフルなシンセサウンドにより作り出されたダンサブルな楽曲をアルバムを通して聴くことができます。

 

この曲も出来上がった後、当時の恋人ジェリービーンによってリミックスされた曲のうちの一つですが、彼はこう言っています。

彼女はアルバム全体の出来に不満だったので、僕が入っていき、多くの楽曲の価値を高めた。
ラッキー・スターには少しのギターと、少しの声と、少しの魔法を加えた
僕は彼女のためにできるすべてを行いたかった。

この言葉どおり、この曲は非常に洗練された、すばらしいダンスチューンになってます。
マドンナ自身による作品でもあり、彼女のコンポーザーとしての優れた才能も感じ取れる一品です。
隠し味程度に付け加えられたギターのカッティングの音も、とても耳障りの良いものとなってます。
当時の最先端のテクニックと、妖艶なマドンナのヴォーカルによって、見事な楽曲が出来上がりました。

 

この曲は、アルバムに収められている4枚目のシングルで、ビルボード誌シングルチャート第4位のヒットとなってます。
また、同誌 Dance Club SongsチャートでNo.1を獲得しています。

 

2曲目はBORDERLINE(ボーダーライン)。

 

この曲はプロデューサーのレジー・ルーカスによる作品です。
イントロの優しいシンセも素晴らしいですが、曲が始まってのダンサブルなメロディも秀逸です。
やはりメロディが美しいですね。
少し切ない雰囲気を漂わせながらも軽妙に楽曲は進んで行きます。
R&Bの影響も受けたダンサブルポップとして、輝く一曲になっています。

 

この曲はアルバムの中では5枚目のシングルとなり、シングルチャートで第10位、Dance Club Songsチャートで第4位を記録しています。

 

3曲目はBURNING UP(バーニング・アップ)。

 

この曲は、彼女がアルバムの契約を勝ち取るために気合を入れて作ったシングル2曲のうちの一曲です。
ちょっと暗めで、平坦なリズムはポップチャートではチャートインすることはありませんでしたが、ダンスチャートでは人気を博します。
やはり、こういうディスコ向けの、エレキとベースとドラムマシンで作られた無機質なサウンドは、ダンス曲としては相性がいいようです。

 

邦盤アルバムのタイトルになってますが、それほどキャッチーでいい曲とは僕には思えません。
が、ダンスフロアでは人気を博したため、このタイトルが採用されたのかもしれません。

 

この曲はアルバム発売前にリリースされた2番目のシングルで、Dance Club Songsチャートで第3位を記録しています。

 

4曲目はI KNOW IT(アイ・ノウ・イット)。

 

3連のリズムの軽快なポップソングです。
これもマドンナによる作品となっています。
打ち込みとシンセによって、これもダンス用としてはいい曲だと思われます。

 

5曲目はHOLIDAY(ホリデイ)。

 

この曲はPure EnergyというポップグループのCurtis HudsonLisa Stevens という人による楽曲で、アルバムに収録する曲が足りないので、 ジェリービーンが見つけてきた曲です。
それで、この曲のみジェリービーンがプロデュースを行なっております。
とくにこの曲はアルバムの中で強力なポテンシャルのあるものにしたかったようです。
それで、マドンナとジェリービーンは友達のFred Zarr( フレッド・ザー)にデモを送って、きらびやかにアレンジし、シンセサイザーのマジックで曲をプログラムするよう頼んでます。
そして、歌入れが終わった後、ジェリービーンは4日を費やして曲のコマーシャルな魅力を高めるよう努めてます。
その上、最終の仕上がり前にもう一度フレッド・ザーに会って、曲の最後に軽快なピアノソロを加えてもらってます。

 

これだけ手を加えた楽曲は見事な仕上がりで、素晴らしいダンスポップソングになっています。
キラキラした装飾音はまさにエイティーズサウンドです。
このミディアムテンポの、心地よいノリは踊らない人にとってもすごく気持ちいいサウンドになってます。
そして、最後に付け加えられたピアノの音も、デジタルな楽曲の中で、とても新鮮に響きます。

 

この曲は3番目のシングルで、ついにビルボード誌のシングルチャートに登場、第16位を記録しています。
そして、同誌Dance Club Songsチャートでは、5週連続No.1を記録、ついに人気が確立されていくことになりました。

 

6曲目はTHINK OF ME(シンク・オブ・ミー)。

 

これはマドンナによる楽曲です。
これも最新シンセを用いて軽快なダンサブルな楽曲になってます。
彼女の作曲能力も一定の水準以上はクリアしているのではないでしょうか。
あと、彼女の歌い方も、決してハイトーンでもありませんが、甘ったるく、聴き心地がよいです。
この曲ではサックスソロが味付けで加えられてます。

 

7曲目はPHYSICAL ATTRACTION(フィジカル・アトラクション)。

 

これはプロデューサーのレジー・ルーカスによる楽曲の2曲目です。
こちらも軽快なダンスミュージックですね。
きらびやかなシンセと打ち込みとR&Bの組み合わせは、マドンナの作品では鉄板となってますね。
問題なくいい作品となってます。

 

アルバムラストはEVERYBODY(エヴリバディ)。

 

この曲こそ、マドンナが世に出るきっかけを作ったと言っても過言ではありません。
前述のとおり、Sire Recordsとの契約を取り付けた後、この曲がダンスチャートでヒットしたことが後のアルバム制作の契約を勝ち取ることにつながっていくのでした。
彼女の強い上昇志向と執念が、ついに実を結び始めたのがこのシングルということになります。

 

曲は、80年代初頭のディスコサウンドですね。
そして彼女自身が作った楽曲です。
振り返ってみると、それほど飛びぬけて優れたダンスソングとは思えません。
しかし、彼女が勝ち取ったチャンスをモノにするために払った努力を思うと、やはり当たり前の普通の楽曲とは思えないです。
彼女の魅力は、十分にここで100%ではないものの発揮されていると感じられます。
この後、さらに洗練されていくマドンナの作品たちですが、このデビューの時点でかなりの部分完成しているようですね。
この時点で彼女の持っていたポテンシャルは、プロデューサーやエンジニアによって一層洗練されていきます
デビュー時点で、この楽曲が作れたと言うことは彼女が優れた原石だったことを証明していると思います。
あとは、それを磨くだけだったのです。

 

実際、彼女のポップアーティストとしての輝きは次のアルバムで、世界に花開くことになります。
この記念すべきデビューシングルは、Dance Club Songsチャートで第3位を記録しました。

まとめとおすすめポイント

1983年リリースのMADONNA(マドンナ)のデビューアルバム、MADONNA(邦題:バーニング・アップ)はゆっくりとチャートを上っていき、ビルボード誌アルバムチャートで最高第8位を記録してます。
また、その年にはアメリカで280万枚、最終的には500万枚を売り上げ、全世界では1000万枚の売り上げに達しました。

 

当時の最先端の技術を用いて作られた楽曲は80年代のダンスミュージックのスタンダードとなっています。
また、あとに続いた女性アーティストの指標を作り出したとも言われています。

 

彼女は全くポッと出のアーティストではありません。
1977年に単身ニューヨークへ来てからは、約5年の下積み生活を送っています。
様々なバイトをしながら、デビューのチャンスを虎視眈々と窺っていた、上昇志向の塊のような娘でした。
そして、わずかのチャンスをモノにしてからは、怒涛の快進撃を始めるわけです。
まさに、意思のあるところに道がある、ということわざを地で行く歩みを見せています。
そして、そのような強い女性の部分と、マリリン・モンローを思わせる華美なルックスとが、男性ファンのみならず、多くの女性をもひきつけることになりました。

 

アルバム作りに関しても、ただ作れればいい、とは思いませんでした。
プロデュースに満足できなかったとき、当時の恋人ジェリービーンを引っ張ってきてリミックスしてもらうなど、およそ新人のやることではありません。
それだけ、成功に飢えていた彼女の強い意志の証です。

 

そんな彼女が魂を込めて作り上げたファーストアルバムは、彼女の後のアルバムの土台ともなる、優れたダンスポップアルバムとなっています。
古いとは言え、当時の最先端のサウンドを盛り込んだ楽曲は、今でも色あせず楽しめるものとなっています。

チャート、セールス資料

1983年リリース

アーティスト:MADONNA(マドンナ)

1stアルバム、MADONNA(邦題:バーニング・アップ)

ビルボード誌アルバムチャート第8位 アメリカで500万枚、世界で1000万枚のセールス

1stシングル EVERYBODY(エヴリバディ) ビルボード誌Dance Club Songsチャート第3位

2ndシングル BURNING UP(バーニング・アップ) Dance Club Songsチャート第3位

3rdシングル HOLIDAY(ホリデイ) シングルチャート第16位、Dance Club Songsチャート5週連続No.1

4thシングル LUCKY STAR(ラッキー・スター) シングルチャート第4位、Dance Club SongsチャートNo.1

5thシングル BORDERLINE(ボーダーライン) シングルチャート第10位、Dance Club Songsチャート第4位