世界の歌姫のデビュー作 WHITNEY HOUSTON - WHITNEY HOUSTON(そよ風の贈りもの)
WHITNEY HOUSTON(ホイットニー・ヒューストン)とは
言わずと知れたR&B界のディーヴァ(歌姫)、48歳の若さでこの世を去ったホイットニー・ヒューストン。
世界で1億4000万枚以上のアルバムを売り上げたとも言われています。
彼女は、やはり80年代の音楽シーンを振り返ると外せない優れたアーティストの一人と思います。
今日は、彼女のデビューアルバム、WHITNEY HOUSTON(そよ風の贈りもの)をご紹介したいと思いますが、まずは彼女のデビューまでを振り返ってみたいと思います。
ホイットニー・ヒューストンは1963年にニュージャージー州で生まれています。
母親は、ゴスペル歌手であったCissy Houston(シシー・ヒューストン)。
いとこには、 Dionne Warwick(ディオンヌ・ワーウィック)もおり、歌手としての血筋をしっかりと受け継いでいます。
また、Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)が彼女のhonorary auntとwikiには書かれています。
honorary auntは名誉伯母、と訳されていますが、いまいち意味がわかりませんでした。
本当の伯母かもしれませんし、honorary(名誉上の、肩書きだけの)という意味からして、実際は血はつながってはいないのかもしれません。
それはさておき、ホイットニーは11歳のときから、教会でのゴスペル聖歌隊で歌い手としての活動を始めています。
学生時代は母親によって、歌の訓練が施されます。
そして、Chaka Khan(チャカ・カーン)、Gladys Knight(グラディス・ナイト)や、Roberta Flack(ロバータ・フラック)といったミュージシャンたちの音楽やパフォーマンスに触れ、その影響を受けていきます。
ティーンエイジャーの頃は、母親が歌うナイトクラブでのツアーについていき、時には共にステージで歌うこともありました。
そうした中で、他のアーティストのバックコーラスに参加するなどして経験を積んでいきます。
1980年代の初期には、ファッションモデルとしての活動を開始します。
モデルとして、雑誌やCMに出演し、当時の女の子たちに人気を博していきます。
また、並行して他のアーティストの作品に参加するなどの、歌手としてのキャリアも重ねていっています。
そして1983年、ナイトクラブで母親と歌うホイットニーのパフォーマンスを見たArista Records の Gerry Griffithは、会社のトップのClive Davis(クライヴ・デイヴィス)に彼女の歌唱を見せます。
そのパフォーマンスに感銘を受けたクライヴは、すぐにレコーディング契約をオファーし、彼女はサインします。
契約後、彼女のデビューアルバムにふさわしい楽曲とプロデューサーを準備するために、十分な時間がかけられます。
その間に、R&Bシンガーの、Teddy Pendergrass(テディ・ペンダーグラス)とのデュエット曲をレコーディングします。
この曲は、テディのアルバムに収録され、後にシングルカットされ、Hot R&B/Hip-Hop Songsチャートで第5位というヒットを記録します。
こうして、優れた楽曲、優れたプロデューサーたちを集めてついにデビューアルバムが制作されます。
レコーディングには約2年、費用は40万ドルかかりましたが、それに見合う素晴らしいアルバムとなりました。
では、今日は1985年リリースの、WHITNEY HOUSTON(ホイットニー・ヒューストン)の1stアルバム、WHITNEY HOUSTON(そよ風の贈りもの)をご紹介します。
このアルバムは、レコード会社のプロモーション戦略により、リリースされた国や地域によって、アルバムの曲順や、シングルのカット順が異なります。
ここでは、アメリカでのリリース盤をもとにお伝えしたいと思います。
WHITNEY HOUSTON(そよ風の贈りもの)の楽曲紹介
オープニングを飾るのは、YOU GIVE GOOD LOVE(そよ風の贈りもの )。
La La(ララ)というソングライターによる、R&Bテイストあふれる極上のバラードです。
ララはもともと、彼女のアイドル的存在のロバータ・フラックのためにこの曲を書いたようです。
ところが、ロバータのアシスタントによって突っぱねられます。
しかし、後にこの曲のプロデュースをすることになるKashif(カシーフ)がこの曲を聴いたとき、これはヒットする、と直感します。
それも、デビューに向けて動いていた、ホイットニーに歌わせるのが良い、と判断しこのアルバムに収められることになりました。
イントロからの優しく、ゆったりした雰囲気がとても心地よいですね。
この曲が、このアルバムの先行シングルだったわけですが、R&Bの新星登場といった感じで、センセーショナルな登場となっていましたね。
スタイルは抜群、これまでの女性ブラックアーティストにはなかった(と僕は思ったけど)キュートさなど、ルックスからこれまでのブラ・コン(ブラック・コンテンポラリー)アーティストと一線を画していた記憶があります。
そして、当然ながら、ルックスだけではありません。
このR&Bのバラードを見事に歌い上げています。
過去の多くのアーティストの影響を受けながら、彼女のオリジナルな歌唱が生まれていったようです。
伸びやかに歌い上げるそのヴォーカルは、このデビューアルバムで既に完成の域に達していたと思えますね。
とにかく、驚きの名曲、名歌唱で、彼女は一躍トップスターの仲間入りをしました。
この曲はアルバムの先行シングルとしてリリースされ、ビルボード誌シングルチャートで第3位、同誌Hot R&B/Hip-Hop SongsチャートでNo.1、同誌Adult Contemporaryチャートで第4位を記録しています。
2曲目は、THINKING ABOUT YOU(シンキング・アバウト・ユー)。
この曲はララとカシーフのコンビによる楽曲で、ダンスソングです。
R&Bの軽快なアップテンポ曲で、まあ、この辺は普通にある楽曲かな、といった印象です。
この曲はアルバムリリース前にシングルとしてリリースされており、Hot R&B/Hip-Hop Songsチャートで第10位、Dance Club Songsチャートで第24位を記録しています。
3曲目は、SOMEONE FOR ME(サムワン・フォー・ミー)。
Raymond Jonesというミュージシャンと、Freddie Washingtonというベーシストによる楽曲です。
この曲もアップテンポですが、ベースラインが結構強調されており、ファンキーな感覚のあるダンスソングになっています。
プロデュースはJermaine Jackson(ジャーメイン・ジャクソン)が行なっています。
ジャーメインのプロデュース効果か、ノリがよくて、なかなかいい曲になっていると思います。
4曲目は、SAVING ALL MY LOVE FOR YOU(すべてをあなたに)。
問答無用の名バラードが登場です。
これは、もう、超絶に大好きだったですね。
不倫の歌ってのも雑誌などで知っていましたが、歌詞の内容はさておいて、楽曲が素晴らしすぎます。
ちょっとジャズっぽい雰囲気の中で歌い上げるホイットニーのヴォーカルが、たいへん素晴らしいです。
この曲は、Gerry Goffin(ジェリー・ゴフィン)という作詩家と、Michael Masser(マイケル・マッサー)という作曲家による楽曲です。
そして1978年には、Marilyn McCoo(マリリン・マックー)という女性ヴォーカリストにより、小ヒットを記録しています。
原曲も、やさしい雰囲気で悪くないのですが、今回はマイケル・マッサー自身のプロデュースにより、大きくアレンジを変えて、ホイットニー用の美しい楽曲に仕上げられました。
ジャズっぽい雰囲気のお洒落な演奏。
サクソフォンがお洒落に楽曲を彩っています。
そんな演奏に乗せて、強弱をつけて歌い上げるホイットニー。
ファルセットも気持ちいいくらいにメロディを捉えていて、文句なしの歌唱ですね。
これはほんとに素晴らしい楽曲に出会えたと思いますし、見事に自分のものにしましたね。
この曲は2ndシングルとしてカットされ、シングルチャートNo.1、Hot R&B/Hip-Hop SongsチャートNo.1、Adult ContemporaryチャートNo.1の3冠を達成する大ヒットとなりました。
また、この曲は、グラミー賞 最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を見事受賞しています。
5曲目は、NOBODY LOVES ME LIKE YOU DO(夢の中のふたり)。
この曲は、James P. Dunneと Pamela Phillips というソングライターによる楽曲です。
1984年には、David Loggins & Anne Murrayという二人によってシングル化され、カントリーチャートでNo.1をとった楽曲です。
そんな名曲をここではカバー、ジャーメイン・ジャクソンとのデュエットソングになっています。
ピアノ中心のもともとが名曲ですから、ホイットニーとジャーメインの組み合わせで悪くなろうはずがありません。
ホイットニーも、大先輩に負けない、素晴らしい歌唱を聞かせてくれてます。
6曲目は、HOW WILL I KNOW(恋は手さぐり)。
ここで、非常にノリのよいダンスポップチューンが登場です。
楽曲は、 Boy Meets Girl(ボーイ・ミーツ・ガール)の二人、George Merrill(ジョージ・メリル)と Shannon Rubicam(シャノン・ルビカム)によるものです。
もともと二人はJanet Jackson(ジャネット・ジャクソン)のためにデモ曲を書いたようです。
しかし、曲を聞いた後、ジャネット側のマネジメントは彼女の他の作品と比べて弱すぎると感じて採用しませんでした。
その時のジャネットにぴったりの曲と確信していたジョージは、かなり腹を立てます。
ところが、ちょうど、ホイットニーのデビューアルバムにふさわしい楽曲を集めていたGerry Griffith の耳にこのデモ曲が入ります。
これは、ホイットニーにぴったりだと感じた彼はすぐに二人の作曲家たちに接触し、楽曲を採用することになりました。
そして、プロデューサーにNarada Michael Walden(ナラダ・マイケル・ウォルデン)を起用。
何とか作曲家たちの許可を得て、歌詞、コード進行、キー、テンポを変えて、ホイットニーに完璧にはまるポップソングを作り上げました。
R&B、バラードなどの楽曲は集まっていましたが、ジャンルを越えて親しまれるポップスがない、と感じていた穴を埋めるにぴったりの楽曲となったのです。
そして、この曲はR&Bというくくりを越えた、その後の彼女の活躍の基礎となる楽曲になったのでした。
間違いなく、極上のポップスとも言えますし、R&Bのテイストも感じられます。
また、PVでも、楽しく歌い上げる彼女の姿は非常に目を引きましたね。
まさに、世界中のポップスファンにも受け入れられる、ジャンルを越えたヒット曲が生まれたのです。
この曲は3rdシングルとしてカットされ、シングルチャート2週連続No.1、Hot R&B/Hip-Hop SongsチャートNo.1、Adult ContemporaryチャートNo.1の3冠に、Dance Club Songsチャートで第3位と、これまた大ヒットを記録しています。
また、この曲の楽しいPVは、1986年の MTV Video Music Awardsで、最優秀女性ビデオ賞を受賞しています。
7曲目は、ALL AT ONCE(オール・アット・ワンス)。
これはマイケル・マッサーと、Jeffrey Osborne(ジェフリー・オズボーン)による共作曲です。
これまた間違いなく名曲の部類に入るバラードと言えるでしょう。
もはや新人離れした、見事な歌唱を聞かせてくれてます。
アメリカではシングルカットされてはいませんが、日本やヨーロッパの幾つかの国ではシングルカットされています。
8曲目は、TAKE GOOD CARE OF MY HEART(やさしくマイ・ハート)。
Peter McCannとSteve Dorffによる共作曲です。
アダルティな雰囲気が素敵なミドルテンポのいい曲です。
この曲でも、ジャーメイン・ジャクソンとのデュエットとなっており、前の年にリリースされたジャーメインのアルバム、Dynamite(ダイナマイト)にも収録されています。
やっぱり、この曲の売りはこのムードたっぷりの雰囲気だと思いますが、その2年後、ほぼ同じ雰囲気の楽曲が出てきました。
鈴木聖美 with Rats&Starの、ロンリーチャップリンですね。
2年ほど後にリリースされているので、やはりまったく無関係に作られたとは思いにくいですね。
細かい部分は異なりますが、全体の雰囲気はそっくりです。
パクリなのかどうかは全くわかりませんが、何の影響もなく偶然には起こりそうにはない感じです。
まあ、本人たちがリスペクトを込めて、より良いものを生み出そうとした、などの発言でもあれば、それはそれで良いのかも、と僕は思いますけど。
勝手な拝借はまずいでしょうね。
いずれにせよムードたっぷりの名曲であることは間違いありません。
ジャーメインのアルバムに先に入っていますから、恐らく、彼がメインヴォーカルのような感じがします。
よって、ホイットニーのアルバムの中では彼女の影が薄くて、そういう意味でちょっと浮いてる感じも多少あります。
9曲目は、GREATEST LOVE OF ALL(グレイテスト・ラヴ・オブ・オール)。
この名曲は、マイケル・マッサーと、Linda Creed(リンダ・クリード)というソングライターによる共作曲です。
1977年に、George Benson(ジョージ・ベンソン)によって大ヒットしたヒット曲を、アレンジしなおしてホイットニーがよみがえらせました。
これも文句なしに素晴らしいバラードですね。
完全に自分の世界をつくり挙げてますね。
もともといい曲だったものが、ホイットニーのエモーショナルなヴォーカルで、一層際立った楽曲になっています。
スタンダードとして後世に残る、素晴らしいバラードだと思います。
また、PVも素晴らしいです。
ステージで聴衆の前に立つ、子供の頃と現在のホイットニー。
どちらも、母親(シシー・ヒューストンが本人役で出てます)がホイットニーを励ましステージ横で見守っている様子がとても感動的です。
リアルと重なって、とてもエモーショナルな作品だと思います。
この曲は4thシングルとしてカットされ、シングルチャート3週連続No.1、Hot R&B/Hip-Hop Songsチャート第3位、Adult ContemporaryチャートNo.1の大ヒットを記録しました。
アルバムラスト、10曲目は、HOLD ME(ホールド・ミー)。
この曲もマイケル・マッサーと、リンダ・クリードの共作です。
そして前述のとおり、テディ・ペンダーグラスとのデュエットソングで、アルバムリリース前の期間中に彼のアルバムに収録されシングルとしてもリリースされています。
やはり、自分の曲、というよりは、テディのアルバム用の曲ですので、そんなにホイットニーが目立つ感じではありませんね。
そういう意味では、ホイットニーのアルバム中では、ちょっと異質な感じはします。
でも、安らかないい曲ではあります。
この曲は、実質的にはホイットニーのキャリアにおけるデビューシングルということになると思います。
チャートは、シングルチャートで第46位、Hot R&B/Hip-Hop Songsチャート第5位、Adult Contemporaryチャート第6位を記録しています。
まとめとおすすめポイント
1985年リリースの、WHITNEY HOUSTON(ホイットニー・ヒューストン)の1stアルバム、WHITNEY HOUSTON(そよ風の贈りもの)はビルボード誌アルバムチャートで14週連続No.1を獲得しました。
そしてアメリカでは1300万枚を売り上げ、世界では2200万枚のセールスと言われています。
このいきなりの大成功の要因の一つは、やはり母親を含め、いいスタッフに恵まれたことをあげる必要があるでしょう。
手っ取り早く売り出すのではなく、学生時代は、学業も大事にしながら歌のトレーニングが施されてます。
そして、レコード会社と契約した後も、約2年かけて、ふさわしい楽曲を探しています。
慌てていれば、典型的なR&Bシンガーとしての普通の成功にとどまっていたかもしれません。
しかし、じっくり時間をかけて、素晴らしい楽曲の数々や、この後の活躍につながる、「恋は手さぐり」のような優れたポップス路線も開けました。
優れたアーティストをじっくり育てた、好例と言えるのではないでしょうか。
そして、やはり何よりも彼女の持っていたポテンシャルが大成功の要因の主要なものであることも間違いないでしょう。
血筋的には文句ない、シンガーとしてのDNAを持って生まれたこと。
幼い頃から母親に付いて、多くのステージを見て、時には体験してきたこと。
そして経験ある大先輩である母親からのしっかりとした歌の訓練。
それらが彼女のいきなり完成していたヴォーカリストとしての歌唱に大きな影響を与えていたと言えるでしょう。
デビューアルバムから、すでに完成されたパフォーマンスに加えて、ルックスも彼女は兼ね備えていました。
モデルも経験してきたとおり、恵まれた体型に、チャーミングな笑顔。
天は二物を与える、という言葉を、体現しているアーティストの一人と言ってしまっていいでしょう。
世界から愛される素晴らしいアーティストとして彼女は羽ばたいたのです。
1986年のグラミー賞では、最優秀アルバム賞にノミネートされています。
惜しくも受賞は逃しますが、このデビューアルバムが非常に高い評価を受けたことの立派な証と言えるでしょう。
あと、大方の予想では、グラミー賞最優秀新人賞は間違いないと思われていました。
しかし、アルバムリリース前に出した、テディ・ペンダーグラスとのデュエット、ジャーメイン・ジャクソンとのデュエットがあるために、ノミネートを逸してしまいました。
この辺は小さな作戦ミスと言えるかもしれませんw
賞のあるなしにかかわらず、このアルバムは優れた内容の伴うデビューアルバムになりました。
その後の活躍への大きな基盤となり、彼女は短い生涯でしたが駆け抜けていきます。
そんな彼女の記念すべき第一歩となるこのアルバムは、やはり聞いておくべきマストな作品であると言えるでしょう。
チャート、セールス資料
1985年リリース
アーティスト:WHITNEY HOUSTON(ホイットニー・ヒューストン)
1stアルバム、WHITNEY HOUSTON(そよ風の贈りもの)
ビルボード誌アルバムチャート14週連続No.1 アメリカで1300万枚のセールス 世界では2200万枚のセールス
※ シングルカット順はアメリカでのものです ※
1stシングル YOU GIVE GOOD LOVE(そよ風の贈りもの ) ビルボード誌シングルチャート第3位、同誌Hot R&B/Hip-Hop SongsチャートNo.1、同誌Adult Contemporaryチャート第4位
2ndシングル SAVING ALL MY LOVE FOR YOU(すべてをあなたに) シングルチャートNo.1、Hot R&B/Hip-Hop SongsチャートNo.1、Adult ContemporaryチャートNo.1
3rdシングル HOW WILL I KNOW(恋は手さぐり) シングルチャート2週連続No.1、Hot R&B/Hip-Hop SongsチャートNo.1、Adult ContemporaryチャートNo.1、Dance Club Songsチャート第3位
4thシングル GREATEST LOVE OF ALL(グレイテスト・ラヴ・オブ・オール) シングルチャート3週連続No.1、Hot R&B/Hip-Hop Songsチャート第3位、Adult ContemporaryチャートNo.1
日本盤とジャケットが異なるようです。
↓↓↓日本盤↓↓↓